せつない痛みとほんわりした夢

日々のできごと、思うこと

私は現在、毎日バスと地下鉄に乗って通勤しています。腰痛持ちの私は、この通勤がけっこうキツかったりしています。

 地下鉄では、できるだけ席に座りたくて、状況によっては、次の電車まで待つこともあります。座れたときはホッと一安心なのですが、もしかして私と同じように身体に調子が悪い(でもぱっと見では分からない)人が近くに立っているのではとふと思うことがあります。そう思うと申し訳なくて、どこかに「私は腰の調子が悪いので、座らせていただいております」なんて貼っていたい気持ちになります。実際貼っていたらそれは変ですけど。もちろん高齢者の方が前にくれば譲るようにしています。

 座れないときももちろんありまして、そんなとき、特に痛みが強いときは、ついイライラしたりすることもあります。混んでいて、後ろの人から押されたり、身体がぶつかったりすることもありますね。そんなとき、こういう状況でも少しは気持ちが穏やかになるのはどんなことかなと、思いを巡らしてみました。

 例えば、車両の中にいる人が全員、趣味や好きなモノが同じ人たちだったらどうでしょう。バンドやっているとか、サッカーやっているとか、好きなアーチストが同じとかそういうものです。あるいは食べ物とか。サーモンが好きとか、カニカマが好きとか(私です)。見知らぬ人とは言え、なんだかちょっと近しく感じて、優しい気持ちになるのではないでしょうか。

 でも、実際にそういう車両を用意することは難しいでしょうね。それに、そこにも問題はないわけではありません。先ほどの例で言うと、私はカニカマ好きですが、世の中にはカニカマがどうしても受け入れられない人がいるかもしれません。カニじゃないくせにカニを名乗るな、とか。そんなときその人を否定したり、非難したり、あるいは排除したり、そんな軋轢が生まれることもないとは言えません。

 でも、そこは別に違ったっていいじゃないか、そして何か一つぐらいは共感してつながるネタはあるんじゃないかとも考えたりして、ほんわりとクリアできるような気はしています。

 気い使いですがおせっかい、人見知りですがコミュニケーション好きという絶妙ブレンドな私ですが(たぶん両親のおかげ)、自分がいることで、その場が心地よくなるようにしたいし、そういう場を自分でも作り出したいなあと、そんなことに思い至った今日この頃です。